「うつわをさぐる時間」をさぐる

文/堀畑裕之・mathouデザイナー


初めてその異形のうつわをみた時、
「のたうつ臓器」という言葉が無意識に洩れた。
それは単純に綺麗とかグロテスクとかではなく、
蠢き生きようとして「うつわ」から逃れでる、太古の生命体を思わせた。
生きるために生きる原始的な命たち。
そしてその直観はある本質を言い当てていたのではないか。
カオルさん本人が言っていたように、
あれは日々格闘してのたうち回る彼女の内在的うつわであり、
それを外在化した作品であったから。
このうつわを享受者が自らのうつわと重ね合わせ、
もう一度自分のものとして内在化させることができるか?
それがこの会の本当のもくろみだった。

すべてのプロセスを通して、参加者の内面に固有のドラマがおこっていた。
参加しているときは、みなさんにこやかに楽しんでいるようにも見えたが、
だれも内面でどう感じているのか「見ること」はできなかった。
しかし程度の差はあれ、「内在化」はすべての人に確実に起こりはじめていた。
それが共有できたのは、「言葉皿」にのった小さな紙片に書かかれた言葉と、
最後にその言葉の意味をひとりひとりが「語りはじめたとき」だった。
それは軽いショックだった。
異形のうつわの衝撃とはちがう、参加者からうけた言葉の衝撃。
誰もが心の旅をしていたのだった。
ここに集いながら、みんな自分だけの遠い景色のひろがりを独りで歩いていたのだ。

カオルさんの「言葉」から始まったこの旅は、
僕らとの長いやりとりと、割れて壊れた無数の残骸を乗り越えて、
参加者それぞれの内在化を告白する「言葉」によって大きな円環をつなげ、終わった。
それは彼女の思い描いた軌跡どおりだったかもしれないが、
同時にその放物線の輝きは参加者の自ら発したものだった。

個人的な感想を描こう。

今回僕はそもそも当事者側にたっていたから、
以前のような純粋な享受者ではありえなかった。
来てくれた大事なお客様に楽しんでもらえるかどうか、
それが気がかりでそわそわした。
実際にうつわをまわして皆が注いでいるときでさえ、
全員の動きや表情が気になっていた。
これでは内在化どころではない。
そんな不安定な心に加えて、二つの煩悩が僕を縛った。
ひとつは「美しい景色を作ろう」とする煩悩と、
もうひとつは「最後に美味しく飲んでやろう」という煩悩と。
うつわの景色に注ぐ色は、それぞれ釉薬や金彩と響き合い、
美しくなるはずであった。
しかし液体はコントロールできなかった。
すべては法則によって流れていく。
「ゆく川の流れはたえずして….」 そんな無情な教えのように、
美しく飾ってやりたいという煩悩は、結局大して役に立たなかった。そんな無力感。
せっかくだから美味しく作り上げたい。
へんな味にならないよう気をつけながら、ベストの選択をしたいと思っていた。
この味を混ぜないように、あるいはこれとこれは混ぜて、
などと考えている心を無視して、うつわは液体を意図せぬところに連れて行き、
「まずいところ」へ向かっていった。
美味しく注ぎたいという煩悩は、結局役に立たなかった。
この2つの煩悩に揺れながら、同時に2つとも失って、
僕は文字通り苦汁をなめることとなった。
もちろん楽しかったのだが、同時に悔しかった。
自分の心の揺れを知って内心うろたえた。

  言葉皿が置かれ、ぼくは思いつくまま句を書いた。

「まよい味 こころのうつわ つぎこそは」

「うつわをさぐる時間」は一度だけのチャンスであり、
この会は決して2度目がないのだ。
知っていたのに、成功することはできなかった。
多くを望みすぎて、結局何一つ実現しなかった不遇な人生のように。

今こう書いて、僕はふとある哲学者のことを思い出す。
フリードリッヒ・ニーチェは、
自分の哲学の核心を「永劫回帰」という不思議な言葉で説いた。
人は悩み苦しみ人生を無情に感じたりする。
絶望したり、自殺する人だっている。
しかしそんなニヒリズムから飛躍するために、ニーチェはこう叫ぶのだ。
「これが人生だったのか! では、もう一度 !!」

同じ人生が永劫に回帰することを前提に、生きる人がいるだろうか?
喜びだけでなく、苦しみも悲しみもすべて全く同じ形で何度も永遠に回帰するとしたら?
あなたはそれに耐えられるだろうか?
だからこそ、この叫びはあらゆる肯定のなかでも最も強い肯定だとニーチェは言う。
「これが人生だったのか!では、もう一度 !!」

人生に「つぎ」はない。いつも一度きりだ。
しかしそれでも「つぎこそは」と願う心、
未来永劫この人生を繰り返すことを辞さない強い決意こそ、
最高の人生肯定なのだと思う。もはや「つぎはない」と知っているからこそ、
永遠に「つぎこそは!」と心は強く決意し、
暗いニヒリズムからぐるりと反転することができるのだ。
それはいつか自分が死ぬと知っているからこそ、
いまを生きるこの瞬間が永遠に美しいのとどこか似ている。

「まよい味 こころのうつわ つぎこそは!」

愚かにも迷って滑り落ち、手に入れられなかった最高のうつわは、
永劫の「つぎこそは」という言葉となって、僕のこころのうつわとなった。
あの時間に「成功」も「失敗」もなかったのだ。

それこそ僕が個人的にみた景色であり、自分の手探った心のうつわの形だった。

July 2013

うつわをさぐる時間

photographer: Waki Hamatsu
そこにうつわがあるなら
文/TAKAGI KAORU

選ぶこと・与えること
文/mamoru・サウンドアーティスト

「うつわをさぐる時間」をさぐる
文/堀畑裕之・matohuデザイナー

旅に必要な道具を心に持て
文/TAKAGI KAORU